出会えばわかる。励まし合う力。
■「励まし合うなんて偽善だ」と言われることがあるけれど
励まし合うアプリを作っていると言うと、
「なんで他人を励ますのか、動機がわからない」
「偽善に見える」
といった言葉を受けることがあります。
正直、その気持ちもわかります。
ボランティア活動に全力で取り組む人を見て、
“どうしてそこまで力が湧くんだろう”
と不思議に思うこともあります。
でも最近は、
人にはもともと「誰かを助けたい」という気持ちが備わっているんじゃないか
と思うようになりました。
■ 私だって完璧な善人ではない
私利私欲が全くないわけじゃありません。
むしろ「もっと節約できる人間になりたい」と思うこともあるし、
“自分の痛みほど他人の痛みに寄り添えていないな…”
と感じることだってあります。
全財産を寄付して生きていけるような精神性があるかと言われれば、
それも正直わかりません。
でも、それでもーー。
■ 偶然にも「助けられた経験を再現できるアプリ」を作れたなら
私はたまたまアプリを作る技術があって、
たまたま励ましてくれる仲間がいて、
それがあったから禁煙できました。
その“偶然の組み合わせ”が、自分の人生を変えた。
そしてアプリという形にすれば、
周りに禁煙仲間がいない人でも、
世界中から同じ境遇の人をつないでくれる。
タイムラインには毎日のように
- 「このアプリがなかったら禁煙できなかった」
- 「仲間がいたからつらい時も乗り越えられた」
そんな言葉が流れてくる。
その光景を見ていると、
赤字でも続けたい
と思うのは、偽善でも自己犠牲でもなく、
ただの“自然な気持ち”なんです。
■ 守りたいと思っただけ。理由なんて複雑じゃない
「励まし合える場所がここにあるなら、途絶えさせてはいけない」
「困っている人が、選択肢としてこの場所に辿り着けるようにしたい」
それが私の収入の一部を使うことで続けられるなら、
やらない理由の方が見つからない。
自分の人生で、こんな偶然に出会える機会はおそらく二度とない。
だからただ、続ける。
善意でも偽善でもなく、
心がそう動くから続けているだけ
です。
■ 「偽善だ」と言う人も、出会っていないだけ
「偽善だ」と決めつける人は、
ただこの種の“場”や“出会い”に巡り会っていないだけだと思います。
もし本当に困っている人たちが励まし合い、
涙を流しながら支え合っている現場に触れたら、
心のどこかに眠っている優しさが自然と動き出す時が来るはず。
人は誰でも、
縁があれば助ける側にもなるし、助けられる側にもなる。
その瞬間をまだ知らないだけ。
だから、私はこの場所を守りたい。
それだけなんです。

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